私の住んでいる街は、日本人も多く、他のアジア系の方々、インド系の方々、そしてもちろんアメリカ人も多く住んでいます。いろいろな文化の人たちが、適度な距離感を保ちながら、わりと平和に暮らしている街です。
近所にも日本人が多く、ありがたいことにママ友も日本人が多いです。場合によっては、英語をそこまで使わなくても生活できてしまうような環境でもあります。
とはいえ、私も早いもので在米30年近くになります。
もともとは「英語をマスターするぞ」という意気込みでアメリカに来たはずなのに、気がつけば日々の生活に追われ、英語の勉強もどこか後回しになっていました。
でも最近になって、かなり遅ればせながら、
「やっぱり、もう少しちゃんと英語を頑張りたいな」
と思うようになりました。

特にここ数年はAIの進化がすごくて、英会話の練習が気軽にできるようになったのが嬉しいところです。
私が以前使っていたのは、ルーラという英会話用のAIアプリでした。自分の声を録音できるので、発音を客観的に確認できるところがとても良かったです。2年ほど前に半年間、ほぼ毎日続けていました。
ただ、その頃はまだAIとの会話の流れが少しワンパターンになりがちで、だんだん物足りなくなってきました。
その後、ChatGPTで英会話の練習をするようになりました。
ChatGPTとの会話は話題の幅が広く、こちらのレベルや興味に合わせてくれるので、とても練習しやすいです。ただ、自分の声が自動で録音されるわけではないので、発音を確認したい時は、たまにビデオやボイスメモで自分の声を録って聞いてみるのも必要かなと思っています。
自分の英語を客観的に聞くのは、なかなか勇気がいります。
「え、私こんなふうに聞こえてるの?」
と、ちょっとショックを受けることもあります。
でも、そこに気づけるのも大事なのかもしれません。
それから、リアルな英語のスピード感に慣れるために、Netflixで『Seinfeld』を英語字幕付きで観たりもしています。字幕を読みながら、会話のスピードについていけるかどうかを試しています。
少し昔のドラマの方が、今のドラマよりも話し方がゆっくりに感じます。最近のドラマやYouTubeの会話は、テンポが早いものが多い気がします。
これも時代とともに変わっていくのでしょうか。
ただ、辛抱強くて礼儀正しいAIさんと話すのと、辛辣で遠慮のない生身のアメリカ人と話すのでは、やはり空気感が全然違います。
こちらの緊張感も違います。
AIは、こちらが言葉に詰まっても待ってくれます。変な英語を話しても怒りません。優しく直してくれます。
でも実際の会話では、相手の表情、テンポ、間、ちょっとした皮肉や冗談、その場の空気感があります。
そこに入っていくには、英語力だけではなく、度胸のようなものも必要なのだと思います。
逆に、英語が完璧ではなくても、心が通じる会話というのもあります。
アメリカに来た一代目同士のアジア人と話していると、お互いに英語が拙くても、なんとなく気持ちが通じることがあります。
言葉は完璧ではないのに、ハートのある会話ができる。
そういう時、英語力だけがコミュニケーションのすべてではないのだなと思います。
私はもともと人見知りをするところがあります。
一方で、私の友達の中には、英語力がものすごく高いわけではなくても、持ち前のコミュニケーション力で、いろいろな人と自然に仲良くなっていく人がいます。
そういう姿を見ると、英語力ももちろん大事だけれど、それ以上に、愛想の良さや度胸、人と関わろうとする気持ちの方が大切なのかもしれないと思います。
そして、そういうものはやっぱり場数なのかもしれません。
英語に限らず、何事も。
完璧になってから外に出るのではなく、少し不完全なままでも、人と関わってみる。
間違えながら、恥をかきながら、少しずつ慣れていく。
在米30年でも、まだまだ英語は修行中です。
でも、今はAIという練習相手もいるし、昔よりずっと学びやすい時代になりました。
あとは、もう少しだけ勇気を出して、生身の人間との会話にも挑戦していくこと。
英語の勉強というより、人生の場数を踏む練習なのかもしれません。
