マリアの思いとはどんなだったか

サイケデリ マリアとベイビージーザス
サイケデリック マリアとベイビージーザス

もうすぐクリスマスですね。

サイケデリックマリアとベイビーイエスキリスト、というのを作ってみました。元のクラッシックな絵の作者が誰だかわからないけれど、ラインと幾何学模様で背景などを埋めて、カラフルにしております。実は美術のクラスでの宿題でつくったのですけど。

さて、クリスマスはイエスキリストが生まれた日というのが元になっておりますね。私の娘はキリスト教の幼稚園に行っていたので光栄にも年末のクリスマス会の劇でマリア様役をしてました。他に立候補がいなかったのもあり、なんと珍しく単独で。

ベイビーを育てるというのは結構大変なことです。神の子ということもあり、イエスキリストは寝つきのいい子だったのか、マリアの母乳はすんなり出たのか、マリアの夫は子育てに協力的だったのか、あるいは「俺の子じゃないし」なんてごねたのか、(そしてお告げで神からたしなめられたのか)トイレトレーニングはやっぱり神の子だったから一発でオッケーだったのか、なんて野暮なことに興味がありますが、

一人の母としての思いは他の母親となんら代わりはないのかな、なんて思います。

推測するに、マリア様は肝っ玉母ちゃん的な感じだったのかな、

あなたのやりたいようにやりなさい、あなたの道を信じて行きなさい、大丈夫あなたは神の子なんだから、と自分の子を信じる感じかな。

もちろん危険なことはしてほしくないとか、世の勢力に反発する(結果的にそうなってしまった感じ?)ようになってハラハラするとか、しまいには十字架にかかってしまってさぞお辛かっただろうなと。

子供はどんどん成長して、結果的に誰しも(健康ならば)大人になります。母としては嬉しくもあり、寂しくもありますよね。

たまに昔の写真や昔のあどけなかった頃を思い返して懐かしく愛おしい気持ちになる。

ベイビージーザスは虫を見つめて、なんじゃこれと思っている。

そんな息子をマリア様は愛おしく、見つめている。そんな一瞬を切り取ったポートレートです。

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